ゆずれいもの

 

 

 

 

 

 

 私の席の隣の人は、テニス部の海堂薫という人です。

 目つきがキツイし、あんまり愛想がないから私の友達からはちょっと敬遠されがちだけど、実はそんなに怖くない。ただ単に口下手で、それを別に悪いって思ってないだけなのよ。余計なことはしなくてもいいって思ってるけど、だからといって話し掛けられても邪険にしないわ。

 だって、私が話し掛けても、別に追い払ったりしないもの。

 ……ま、まあ、私、男テニのマネージャーだから?話し掛けるっていっても必要事項だし?

 実を言うと、まだ海堂氏と雑談、という行為にはいたっていないわけで。

 だから、次の席替えが来るまでに、海堂氏と仲良くしよう大作戦を実行すること、決定!

 ? 何で仲良くしたいって?

 ………。

 いや、まあ、それは、うん。

 …………はい。わたくし、はこちらの海堂薫氏に懸想などしておりまして。

 

 はじめは、とっつきにくそうな人だなー、って思ってた。

 でも、一年生のときに出た新人戦の、地区大会での出来事で、テニスへの道を断念しなければならなくなったとき。

 途方に暮れてたときに、マネージャーになるように勧めてくれたのが、こちらのマムシくん。

 おかげで私は現在、学校中のほとんどの女子のやっかみの視線を感じながらも、黙々とマネージャー業に精を出しているのです。

 そこから、まあ、その、いいひとだなーって思い始めて。

 親友のちゃんに、『ちゃんは海堂くんが好きなんだね』って言われて、初めて気付いてみたりして。

 そのちゃんの彼氏の不二先輩や、菊丸先輩にばれてからかわれてみたり。

 手塚部長に、『お前が誰を好きになろうが構わないが、公私はきちんと区別するように。さもなくば、グラウンド10周』と釘を刺されてみたり。

 桃城くんを灰にしてみたり(あれは笑ったなあ)。

 乾先輩に、『海堂の好きそうなシチュエーションのデータをあげようか?』と、妙な応援をされてみたり(って先輩、どうやってそういうデータを集めたんでしょうか)。

 河村先輩には『言っちまえバーニング!!』と背中を叩かれてみたり。

 大石先輩に『頑張っておいでね』と唯一暖かく見守られてみたり。

 越前くんには『……趣味悪……』と呟かれてみたり。

 とまあ、男テニレギュラー陣には、完全にばればれなのです。

 なのに何故気付かぬ、海堂薫!!

 その鈍感なところも好きだったりして(きゃっ)。

 ………やめよう、慣れない真似は。

。」

「はい。」

「タオル。」

「はい、どうぞ。」

「ん。」

 ありがとうくらい言いましょう、海堂くん。

 内心ツッコミを入れつつも、私はしおらしく自家製ドリンク(紅茶に蜂蜜とレモンを入れたもの。疲れると糖分と酸性のものが欲しくなるのだとは乾先輩の言。因みに、部員全員の分、それぞれの好みによって材料をきちんと量ってるのだ)を手渡す。

「はい、疲れたでしょ?」

「ん。」

「あと、海堂くん。」

「ん?」

「今日は帰りに居残りしちゃ駄目だよ。グラウンドの整備があるらしいから。」

「ん。」

 いつもクラブが終わった後に一人練習している海堂氏。何で知ってるかって? そりゃ、いつも見てるもの。

 一人ボケツッコミをしているマネージャーのことには気付かず、海堂氏は小さく頷き、私にタオルとドリンクを押し付けてコートに戻る。

 まっ、なんて無愛想なんでしょ!

「なーんちゃって。」

「にゃにが『なーんちゃって』なのにゃ?」

「……菊丸先輩、重いです。」

 人の頭の上に乗っかるのはやめて下さい。

「どーせまた海堂が冷たかったのにゃ。」

「わかってるなら聞かないで下さい。はい、タオルとドリンクです。」

 ああ、コートの外の菊丸親衛隊の目が痛い。

 違いますよー、私は海堂氏が好きであって、菊丸先輩はなーんとも思ってないですからねー。

 と、心の中で言ってても、どうせ明日には呼び出し決定。

「こーんなに頑張ってるのになあ。忘れてもいないのに教科書忘れた振りして海堂くんに見せてもらったり、わざわざ得意な英語の時間に昼寝して、海堂くんに英語教えてもらったり、海堂くんのお昼ご飯をつまみ食いしたりして、視界に入るようにしてるのになあ。」

「……ちゃん、それ、ちょっと変わってるアプローチにゃ。」

「いやあ、普通の女の子と同じようなことじゃ、気付いてもらえないと思いまして。」

 もう。

「こーなったら、家までつけて、部屋に忍び込んで、枕もとで『あなたは私が好きになる♪』って呟き続ける、ってどうでしょうか?」

「……ちゃん、それ犯罪にゃ〜。」

 冗談ですって。

 でも、そうでもしないと海堂くん、気付いてくれないもの。

 翌日、ちょっと本気でストーカー大作戦を実行しようかと悩んでいると、靴箱に一枚の紙。

『今日の昼休み、体育館裏で待ってます。』

 …………。

 その1 愛の告白

 その2 間違い

 その3 リンチ

 乾先輩仕込みのデータ解析力によると、“その3”が一番怪しいかと。

 あーあ。昨日、菊丸先輩が不用意に近付くから。

「大丈夫?」

 私の持ってる紙に気付いて、同じ可能性に行き当たったらしいちゃんが、心配そうに尋ねる。

「大丈夫。これ以上、髪を切られることもないだろうし。」

 腰まであった長い髪も、マネージャーになったばかりのときにあった一悶着のために、今では肩につくかつかないかくらいの長さになっている。

 いや、これは自分で切ったんだけどさ。親衛隊がうるさいから、売り言葉に買い言葉で。

「不二先輩に、言っておこうか?」

「大丈夫。……でも、授業が始まってもまだ帰ってなかったら、ちょっと心配して欲しいかな。」

「うん、わかった。言わない。」

 不二先輩の彼女、というとてつもなく危険な立場にいながら彼女が平和でいられるのは、その不二先輩ご当人の威力だと思う。何かあると、すぐに不二様が開眼して精神攻撃を繰り返したおかげで、ちゃんはずーっと親衛隊の皆様とは離れた生活を送っている。それでもなんとなく親衛隊の攻撃の怖さは、私の親友をしているために知っている。

「どういうつもりよ。」

 こーんなふうに。

「あんた、テニス部のマネージャーだからって、菊丸君に媚び売ってるんじゃないわよ。」

 売ってません、売ってません。私が媚び売ってるのは海堂氏だけです。

「釣り合うとでも思ってるの?ばっかじゃない。マネージャーさせてもらってるからって、いい気になってるんじゃないわよ。」

 なってません。あまりの肉体労働に、ちょっと後悔しているくらいです。

 やめる気ないけど。

 何も言わずに下を向いていると、皆様ちょっとつまらないらしく、輪を狭めて包囲開始。うち一人は後ろに回りこんで、私を羽交い締めにする。

「ちょっとかわいい顔してるって思って、思い上がるんじゃないわよ。」

 え?かわいい?

 初めてそんなこと言われちゃった♪

 じゃなくて!

 あー、なんでかしら。どんなに切羽詰っても、私って本気にならないで、こうして冷静な自分になってしまう。

 テニスをしていたときも、そう。

 全然本気にならずに、楽しければいいや、って程度で。

 できなくなった知ったときも、自分より周りの方がおろおろしてた。

 私は、なんとも思ってなかった。

 あーあ、次は何しようかしら。足が悪いんだから、ほかの運動部も駄目なんだろうし。文科系のクラブにでも入るか。ってだけ思ってた。

 なんか、どこかがずれてるんだと思う。

 私は二重になっていて、現実世界の自分をもう一人の私が観察している感じ。

 殴られても、痛いなあ、口の中切っちゃったなあ、って、どこぞの学校の子みたいに、ぶつぶつ頭の中で考えるだけ。怖くはない。

 執着心が、ないのかな。

 海堂くんを見てるときだって、好き好き♪ って気持ちはいっぱいある。なのに、よく漫画であるみたいに、どきどきはしない。昨日みたいに、冷静にツッコミを入れながら、冷静に会話してる。

 でも、やっぱり好きよ? そばにいると、幸せになれるもの。

 でもたぶん、他の誰かが海堂くんの恋人になっても、私は落ち着いていられる。悲しいけれど、また立ち直る。逆に、ちゃんの方が大慌てするんだと思う。

「ちょっと、聞いてるの!?」

 聞いてます聞いてます。意識は薄れてきてるけど。

 コンクリートにぶつかった頭が痛い。がんがんする。ほっぺたも痛い。腫れてるんだろうなあ。つきつきするから、あのお姉さんの持ってる剃刀で切られたのかも。でも、傷は浅いみたい。じゃあ、痕にはならないわね。

 痛いことは大丈夫。慣れてる。

「ちょっと、なんとか言ってみたらどうなの?」

 なんとか。

 って言ったら、また殴られるなあ。

「かわいくもないくせに!」

 って、矛盾してますよ、お姉さん。

「いっつもへらへら笑ってるだけの、調子のいい女の癖に!!」

 ……。

 否定、できません。

 何にも執着心ないから、みんなに平等に笑ってますもん。

「あんたなんか!」

「おい。」

 ………………………。

 !?

 うそ!?

「か、海堂くん、」

「菊丸もいるにゃ。」

「き、菊丸くん!?」

「嘘、何で? 見張りはどうしたのよ!?」

「いや、って言うかその前に、ふたりは何故ここへ?」

 私は間の抜けた(意外にしっかりした、とは後の菊丸先輩の言)ツッコミをして、そのすぐ後、気を失ってしまったらしい。

 なぜ「らしい」なのかって?

 そりゃ、次に気がついたのが、保健室だったから。

 

 

「大丈夫か?」

 起きてすぐに見えたのが海堂くんの顔で。

 私はガラにもなく、焦ってしまったらしい。

「か、かかか、海堂くん!? な、なぜあなたはここに!?」

「おい、起きていいのか?」

「よ、よくないです〜。」

 突然起き上がった途端、くらくらと眩暈がして再びベッドに撃沈。

「お前の友達に聞いた。お前が、呼び出されてると。」

 ……ちゃんだな。ふむ。どうせ、『不二先輩に言わない、とは約束したけど、海堂くんに言わない、とは約束してないもん。』とでも言うんだろうな、あの子は。

「本当は、菊丸先輩に助けてもらいたかったんだろうけど。」

「え、ええええええ!? い、いや、全然!! 海堂くんが来てくれて嬉しかったです!! 白馬の王子様なのです!!!」

「おい、」

 再び起き上がって倒れた私を支え、目が合って照れたらしく、ぱっ、と手を放されてしまう。

 ばふっ、と私はまた撃沈。

「あ〜、頭がくらくらするのれす。」

「おい、大丈夫なのか?」

「頭のネジが抜けてるのはいつものことなのだ。気にするでない。」

 なんて言ってみる。

 ひらひらと手を振った私に海堂くんはなんて思ったのか、口元を歪めた。

 お、笑ってる(これは笑ってるの。私にはわかる!)

「あ、でも海堂くん、部活は?」

「菊丸先輩が、部長に言った。俺と、は欠席。」

「? 何で海堂くんまで?」

 と、海堂くんは目をそらした。

 どうやら照れているらしい。

 何か照れることなどあっただろうか?

が、心配だったから。」

 …………。

 なんとなく、わかったかも。

 私が、何で今まで海堂くんといてもどきどきしなかったか。

 たぶん、本当に二人きり、っていう状況になったことがなかったからだ。

 教室では、ほかに生徒がいた。

 クラブでも、ほかに部員がいた。

 今は、保健室で二人きり。保健の先生の気配もない。

 だから、だよ。

 今、こんなにどきどきしてる。

 頭だって、まともに働かない。

 二人になったら言おう、って思ってた言葉はいっぱいあるのに。

 なのに、今は一つしか思いつかない。

「海堂くん。」

「ん?」

「あ、あのね。私、今まで、何も執着するものがなかったの。熱くなれなかったの。テニスだって、できなくなったとき、あんまり悲しくなかった。だって、長時間できないだけで、趣味でする程度ならいいんでしょ? って思ってた。勉強だって、するはするけど、たぶん、親に言われなければ落第するくらいの成績になるんだよ。マネージャー業だって、みんなが必要なんだ、って思い込んでしないと、何もしなくなると思う。」

 海堂くんは突然話し始めた私をじっと見て聞いている。眉毛が整ってるなあ、とか、睫毛長いなあ、とか、あ、二重なんだ、とか。

 そんな、関係のないこととかも、珍しく考えなかった。

「けれどね、一つだけ、すっごく執着してるものが、あるんだ。これだけは、私の中のほとんどを占めてて、ほかに何も考えられなくなるの。」

 ゆっくりと起き上がる。まだちょっとくらくらするけれど、大丈夫。海堂くんの目を見て、言える。

「私ね、海堂くんにだけは、物凄く執着しているの。物凄く、好きなの。」

 それを聞いた海堂くんは真っ赤になって。

 大きな手で自分の顔を抑えて、『先に言われた』って呟いて。

 ちらりと私を見て、そっとキスしてくれました。

 

 私?

 いやまあ、情けないことに。

 そのままもっかい倒れてしまいました。

 

 

 後日談。

「私が、菊丸先輩を?」

「好きなんだと、思ってた。」

「何で?」

「……いつも、仲がいいし。俺には、必要なことしか言わないくせに、先輩とは楽しそうに話してたから。」

 おいおいおい。

 聞いたか、奥さん。あの薫くんがヤキモチ妬いてたみたいですよ!

 うわあ、なんか不謹慎だけど、嬉しい♪

「それに、呼び出しは菊丸先輩の親衛隊からが一番多いって、乾先輩のデータに。」

「……一体どうやって統計取ってんだろ、先輩って。」

 今度一回、聞いてみよう。

 柔軟体操を手伝って上に乗っかっていた私は、更に体重をかけた。

「うわー、よく曲がるねー。」

「……痛い。」

「あ、ごめんごめん。」

 ひょい、と立ち上がると、ちょうど部長がレギュラーに集合をかけた。

「あ、呼ばれてるよ。」

「ああ、行ってくる。」

 きゃっ、なんか新婚さんみたいな会話。

 すると、薫くんは立ち上がり、集合場所へと走ってく。

 と、見せかけてUターン。

 ? と首を傾げてると、そっとかすめるようなキス。

「行ってくる。」

「…………。」

 

 私?

 もちろん、その後ぶっ倒れましたとも。

 薄れゆく意識の中で、慌ててる薫くんの声と、部長の『海堂、グラウンド10周! も、意識が戻ったら10周走ってこい!』っていう声が聞こえた。

 

 

 どうやら、これだけは慣れないようです。









反省会
 キ ショ イ

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