シベリア鉄道   西へ 

 

 

 

 私は、ひどくばかげたことをしているのかもしれないと、そう思った。

 冷えてしまった指先を擦り合わせる。それでも熱が足りなくて、私は指先に息を吹きかけてみた。

 そして、こうしていると本当に手が祈りの形に見えるのだと気付いて、小さく笑った。

「どうかしたの?」

 突然笑い出した私を不思議に思ってか、音夢さんが首を傾げた。私はなんでもないと首を振って、凍ってしまった窓に目を向けた。

 寒いなあ。仙人さん、寒いの苦手だから、今頃地獄を見てるんだろうなあ。そもそも、寒がりなのに、なんで逃亡先をロシアにしたのかしら。ハワイとかならあったかくていいだろうに。

 仙人さんの好物であるホットココアを一口飲む。彼も、寒さと格闘しながら大好きなココアを飲んでいるのだろうか。

 ああ、さっきから、仙人さんのことばかり気にしてる。

 やっぱり、好き、なのよ。あの人が今、こんな状態になってもなお、こんなにも好き。その連れ去られた天野くんという少年に、嫉妬してしまうくらい。

 向かいのベッドに座って本(さっき見たら、『ロシア紅茶の謎』だった。幽弥くんに薦められたに違いない)を読んでいた音夢さんは、その本にしおりを入れて私に向き直った。その改まった態度に私は緊張して、思わず背筋を伸ばした。

さん、大丈夫ですか?」

 その質問が、寒さに関してなのか、時差に関してなのか、それとも犯罪者となってしまった恋人というか旦那というかまあそんな感じの人、を追いかける自分の精神状態に関してなのか、私は図りかねて首を傾げた。

「ええーと、何に対してかしら?」

「ジンさんを追いかけて、大丈夫ですか? もしかしたら、辛いことになるのかもしれないですよ?」

「私は、大丈夫。それよりも、仙人さんの方が心配だわ。それに、音夢さんも。」

 同僚と、こんな再会をしなければならない彼女の方が辛いだろう。いつもは優しくて明るい音夢さんだけど、事件になると途端に厳しい態度になる。だから彼女は、例え相手が元同僚であろうと元班長であろうと、犯罪者と対決するときの厳しい態度を崩さないのだろう。

 それは、どれだけ辛いことなのだろう。

「私は、大丈夫なつもりなんですけど・・・でも、実際に会ってみないと、わからないです。」

 極められた女の勘は、このことに関してはあまり働いていないらしい。

 私は、仙人さんに会うことよりも、会って、嫌がられる方が、よっぽど怖い。

 仙人さんの過去は、ある程度聞いている。お見舞いに行ったとき、たまたま天野少年が病室に忍び込んでいたことも会ったので、仙人さんが天野少年と、自殺された弟さんとを重ねているらしいことは、なんとなく気付いていた。それでも、こんなことになるなんて、思ってもみなかった。

 天野少年は、もうすぐ死んでしまう。

 弟さんと似た、死を予感している少年。

 今の仙人さんは、多分恐れている。

 天人くんが現れることを。

 弟を殺した自分を、弟が責めることを。

 罪深い自分と、対峙することを。

 そして、そんな罪深い、優しさを与えられる資格のない自分に、私が声をかけることを。

 多分、音夢さんと私が仙人さんのところへ向かっていることは、もう仙人さんに知れているだろう。噂で、幽弥くんが仙人さんと秘密裏に接触していることを聞いたから。

 仙人さんは、半分安堵しているだろう。音夢さんに、冷たくあしらわれることが予想できているから。罪深い自分を、罪人として音夢さんは扱うだろうから。

 けれど

    けれど、私は、

「仙人さんに会ったら、どうするの?」

「説得するつもりです。このまま日本に帰ってきてくれれば、不問、とはいかなくても、軽い罰ですむと思いますから。」

 音夢さんは厳しい顔で答える。

「でも、さんはどうするんですか? さんに考えがあるなら、なるべく私は協力しますよ?」

 私は、

 私は、どうするのだろう。

 それ以前に、何をしているの、私は?

 私は、ただの食堂の炊事係よ?

 それが、総代代行に頼み込んで、仙人さんのところに行くという音夢さんに無理矢理ついていって。

 何を、するつもりなの、私は?

「わたしは、」

 ああ、ココアが冷たくなってしまった。指先もどんどん凍える。

 前に、真冬に雨が降った日に、寒いからって二人で毛布をかぶってストーブの前で寄り添いあったっけ。

 ぴったりとくっついて、冷たいからって手を繋いで、

「わたしは、ただ、」

 仙人さんに会いたい。会って、冷たい指先を暖めてもらいたい

 

 

 

反省会
  好きです、ポルノ・グラフィティ。

 

戻る