Rhetoric

 

 

 

 

 呪文学自体は入学してからずっと付き合っていた学問ではあるのだが、五年生になった今、その上級学問というか傍系学問というか、とにかくそういう感じの学問が一つ増えるのである。

 その名は、呪文修辞学。

 必修ではあるが、何故かその学問はOWLにおいては実施されない。その理由には諸説あり、できたての学問であるから試験監督がいないのだとか、学問自体が非常に抽象的であるので試験の基準が未だに出来上がっていないのだとか、どちらかというと補助的学問であるので試験をするに及ばないのだとか、その噂は様々である。

 

「それでも、サボらないで真面目に受けてちょうだいね。真面目にやれば、他のOWLに必要な科目に、必ず反映される学問なんだから。あ、魔法薬学と魔法史は除くけれど。」

 僕たちにとって初めての呪文修辞学の授業で、担当教官の先生はにこりと笑って説明した。愛嬌のある言い回しに、教室内の生徒たちはちょっとだけ笑う。

「それから、聞かれる前に答えておくけれど、私が着ているローブは、東洋のジャパンという国の民族衣装をローブ風にアレンジしたものなの。毎年聞く人がいるのよね、そのローブはなんですか、って。先に言っちゃうわ。私の祖母はジャパニーズとのハーフでね。私はジャパンフリークなの。あ、因みに、その祖母の母親、つまりは私の曾祖母に当たる人なんだけど、その人がジャパニーズで、ミコ、っていうジャパンのいわゆる魔女に当たる人だったらしいわ。」

 かりかり、とロンの隣から羊皮紙と羽ペンが擦れる音がした。授業とは関係ないけど、興味深い話についハーマイオニーの知識欲がうずくみたい。

「さて、余談はこれくらいにして、呪文修辞学についてちょっと解説しましょうか。入門書に書いてあるようなことを言うから、いちいちノートはとらなくて大丈夫よ。ただ、ちょっと噛み砕いて言うから、教科書がわかりづらい人は、教科書に書き込むなりなんなりしてね。」

 何人かが慌てて教科書を取り出す。どうやら、教科書を理解できなかったのは僕だけじゃなかったみたいでちょっと安心。

 先生のことは、とある理由でちょっとだけ知ってたから、興味があって教科書を読んでみたんだけど(『修辞的魔法 ”Rhetorical Magic”』という教科書で、先生が書いた本だった)、少し難しくて。

「音声呪文学を知ってる人はいるかしら?」

 途端に、当然の如くハーマイオニーが手を挙げる。

「はい、ええーと、グレンジャー?」

「音声呪文学は、平たく言うと、呪文の最も効果的な発動を促す発音を研究する学問です。」

「わお! 私なんかよりもよっぽど上手くまとめてくれたわね。グリフィンドールに五点。」

 ハーマイオニーは顔を真っ赤にして席に着いた。我慢できないくらいニヤニヤしてるよ、ハーマイオニー。

 それもそうか。呪文修辞学の創設者からじきじきに授業を受けられるって、昨日から有頂天だったもんね、彼女。そんな人から褒められたんだから、嬉しくないわけないか。

「今グレンジャーが説明してくれた音声呪文学と、少々通じるものがあるのよね。音声呪文学は、音声によって呪文の効力を強めます。そして、呪文修辞学は、平たく言えばロジックなの。あ、今、何人か嫌そうな顔をしたわね。」

 減点しちゃうぞ、と言うと、教室は再び笑いに包まれる。

 ううーん、こんなにいい人が、あのスネイプの恋人とは思えないんだけどなあ。

 つい唸り声が外に出てしまったらしく、ロンが不思議そうな顔をして僕を見る。なんでもないよ、と言ってから、再び先生の話に意識を戻した。

「各々の呪文を仮想単語――これは私の造語なんだけどね――に分解して、それぞれの意味をきちんと汲み取って、それを意識しながら呪文を唱える。そうするとね、音声呪文学並みに呪文の効力を調整できるのよ。もちろん、音声呪文学と組み合わせて使うと、最強よ。」

 可愛らしく片目を瞑って言うと、何人かの男子生徒が顔を赤らめる。はい、因みに、僕とロンもちょっと顔赤いです。ハーマイオニーが剣呑な目つきでこちらを睨んでます。

「さて、これから一つ呪文を例に取り上げて説明したいんだけれど、一つ皆さんに注意があります。絶対に、不用意な発言をしないこと。」

 それは、授業の邪魔をするな、ということなんだろうか。

 そういうことを言うような人には見えないんだけどなあ。

「ああ、誤解しないでね。質問とかツッコミとか、ばんばんしていいんだから。そうじゃなくてね・・・ええーと、皆さん、言霊って知ってるかな?」

 さしものハーマイオニーも知らないと見える。みんなお互いの顔を見て首を傾げている。

「言霊、というのはジャパンの思想なんだけど、簡単に言うと、言葉には力が込められていて、口に出した言葉には魔力が秘められている、っていうものなの。それがどんな言葉であろうとね。私は、その思想から呪文修辞学の基礎を思いついたんだけど。」

 例えば・・・と先生はあたりをうろうろして、シェーマスの前に立った。

「フィネガン、よね?」

「は、はい。」

 けけっ、シェーマスのやつ、アガってやんの。

 先生はシェーマスの羽ペンを指差した。ちょっと赤みがかかったグリーンの羽のやつで、結構かっこいいんだよね、あれ。

「そのペン、かっこいいわね。いいなあ。」

 心底羨ましそうに言う先生に、シェーマスは顔を真っ赤にする。先生はくすくすと笑った。

「褒められて、嬉しかった?」

「え、あ、はい。」

「でしょ?」

 先生は教室の全員を見渡す。ちょっと厳しい顔で。

「こういう風に、言葉には人の心を動かす力もあるの。それが呪文になると、増幅されて、物理的に目に見える効果を発揮するの。でも、呪文じゃなくても、やっぱりあたりに影響するのよ。それが、今みたいにいい言葉だったらいいわ。けれど、嫌な言葉は、聞いてて嫌でしょ? それは、その言葉に、人を嫌にさせる力がこめられているからよ。この教室では、あなたたちが勉強しやすいように、言葉に魔力を込めやすいようにしています。だから、人を褒めれば相手はいつも以上に喜ぶし、逆に貶めれば、相手をどん底に叩きつける可能性があるの。だから、この部屋では、よくよく考えてから喋ってちょうだい。ところでフィネガン。例になんか引き出してごめんなさいね。でも、本当にそのペン、かっこいいわ。どこで買ったの? ホグズミートにはなかったわよね?」

 真剣な顔でそう言う先生に、ちょっと硬くなっていた教室の空気は一気に柔らかくなる。やっぱり、呪文修辞学の権威だけあって、こういうのは得意なのかな。

「ホントは、この部屋以外でも、なんでも考えてから喋って欲しいんだけどね。やっぱり、つらいでしょ、意地悪な言葉は? 特にあなたたちはグリフィンドールだから、某魔法薬学の授業で経験済みでしょ?」

 途端、みんな顔を見合わせる。今まで、あのスネイプの言動を知ってはいても追及しない先生ばかりだったのに、この人はこうもはっきり言い切って・・・

 さすが婚約者。

「ま、諦めるしかないのね。こっちが大人になってやらないといけないことは、この世にたくさんあるんだから。あんなの、社会勉強だと思って切り抜けてね。」

 ひらひらと手を振って笑う。

 焚きつけておいて、それはないんじゃないかなあ。

 まあ、でも、僕らが苦労していることを知ってくれている大人が一人いることがわかっただけでも、気が楽だな。

 みんなもそう思ったのか、なにか言いたそうな顔をしながら誰一人としてスネイプに対する不満は言わなかった。直前に、あまり悪いことを言うな、って釘を刺されていたのもあるかもしれないけれど。

「さて、とりあえず、授業らしいこともしないとね。まず、簡単な呪文からいきましょうか。最初は・・・そうね、明かりの呪文のLumosから・・・」

 

 確かに、先生が言った通りこれはロジックだ。しかも、知っていればいいのは英語だけじゃなくて、各国の言葉や故事成語、果ては古代の歴史まで紐解かないといけなくて、ハーマイオニー以外はかなり疲れ気味。

 それでも、だれてきた途端に入る先生の冗談や、実践練習のおかげで、つまらない! とは思わなかったんだけど。

「ああ! 呪文修辞学って大変だわ! けれど、逆に遣り甲斐があるのよね。まだできたばかりだから、色々発見もありそうだし。けれど、何より凄いのは、先生のあの知識だわ! 各国の現代・中世・古代の言語に精通してらっしゃるし、それを瞬時に引き出すこともできるなんて!!」

 と、約一名、心底感動していた人もいる。

 彼女ほどじゃなくても、結構意外な発見があって面白かったね、なんて言い合う生徒もかなりいたり。

 とまあ、授業が終わることには、僕たち全員、呪文修辞学にも先生にも、両方とも好感を持っていた。

「はい、今日の授業はこれまでね。えーと、宿題! 二ヵ月後でいいから、RictusempraとFinite Incantatemの二つの呪文を仮想単語に分けて、理屈付けしてきて。簡単だけど、OWLのせいで他のレポートが溜まりまくっているだろうから、ゆっくりでいいわよ。息抜きにやっておいで。できた人から提出。それじゃあね。あ、ポッター。あなたは授業終わったあと、ちょっとだけ残ってくれる?」

 なにをしたの? という視線が僕に集中。今日は、誰もなんの失敗もしなかったはずなんだけどなあ。

 ロンとハーマイオニーに先に帰ってもらって、僕は二人っきりになった教室をてこてこと教壇の方に歩いていった。これで相手がロックハートとかスネイプとかだったらうんざりなんだけど、先生だから特に不安はない。

 教壇の前に立つと、先生は魔法で椅子を引き寄せ、僕に座るように言った。もちろん、命令じゃなくてお願い。まだ言葉に魔力をこめやすいこの部屋にいるからって、先生はかなり言葉遣いに気を使っている。

「あのね、ポッター。こんなことを言うのはおかしいと自分でもわかっているんだけど、どうしても言っておきたくて。」

「なんですか?」

 先生は本当にすまなさそうな顔をした。

「言葉に、負けないでね。」

 

 すとん

 

 なにかが、体の中に落ちた。

 嫌な感じではないんだけど。

 あ、もしかして、これって先生の言葉の持つ魔力?

「あなたは、いつも言葉の暴力を受けるような環境にいるでしょう? いいえ、マグルの家庭のことだけを言っているんじゃないわ。魔法界でもそうよ。英雄だのなんだのと、あなたを褒め称える言葉とともに、あなたを悲しませる言葉も発せられたはずよ。去年とか、二年生のときとかは、特に。」

 ああ、

 僕がパーセルタングだったり、

 スリザリンの後継者だって思われたり、

 Tri Wizard Cupに年齢制限の枠を超えて出場したり、

 とにかく、そういうときのことを、言っているんだろうな。

「負けないで。そして、負けそうな人を、元気付けて。救って、とまでは言わないわ。けれど、言葉の魔力の強さを一番知っているあなただからこそ、そういったものに脅かされている人を、元気付けることができるはずよ。」

「どういうことですか?」

「私からは言えない。ああ、怒らないでちょうだい。あなたを子供扱いしているつもりではないのよ。ただ、これはその人のプライヴェートに関わることだから、易々とは口にできないの。」

 僕は先生を正面から見た。ほんの少しだけ流れている東洋の血のせいなんだろうか、先生は普通の女性よりも背が低い。

「先生は、その元気付けて欲しい人を、直接知っているんですね。」

「・・・・・・ええ。ずっと、ずっとずっと私が慰めてあげられれば、って思っていたんだけれど、私にはできないの。あなたじゃなきゃ、できないの。」

「なんで僕だと出来ると思うんですか?」

「・・・あなただから、できるの。その血を受け継ぐものとして。」

 血?

 パパの?

 ママの?

「いつか、助けてあげて。」

 何故か、先生の後ろに闇が見えた。

 

 

 

 

反省会
 Rhetoric5を読まないとわからないよ、この話・・・。

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