人見知りの子猫
火村の下宿先には三匹の猫がいた。 なぜ過去形かというと、最近もう一匹子猫が増えたからである。 「人間を猫扱いするな。」 「やってちゃん、猫っぽいんやもん。」 いつものように学生のレポートを採点しながら火村は私を睨んだ。彼は件の子猫、いや、人物をずいぶんと気に入っているのである。 こんこん、と軽く扉がノックされた。 「あの、火村さん、有栖川さん。お茶請けに、これを・・・。」 火村の返事に応じて細く開けた扉の隙間から顔をのぞかせた少女が、おずおずと菓子箱を差し出した。 彼女が噂の少女、篠宮嬢である。苗字からもわかるように、大家である老女の親戚だそうだ。話によると、ある事情で両親をなくしたため、ここに身を寄せているらしい。御年十六歳。本来なら高校に通っている年ではあるが、彼女は学校に行っていない。人それぞれあるのだろう、と私はその理由を詮索しないでいる。 「久しぶりやな、ちゃん。どや? 助教授先生にいじめられてへんか?」 「そ、そんな、いじめるだなんて、その、火村さんは、すっごく優しくて、えと、あの、」 「アリス、いじめはそこまでにしておけ。」 彼女の性格上、火村を悪く言えるわけがないことをわかった上での軽口である。これが私の知っているほかの女性なら楽しそうにあることないこと火村の悪口を言ったであろうが、おとなしい性格の彼女はそんなことは絶対言わない。 「、コーヒーでも飲んでくか?」 レポートを一旦端に寄せた火村は、ちゃんの返事も待たずに立ち上がり、台所で新しいマグカップにコーヒーをいれた。 ん? 「それ、新しいマグカップやないか。」 「お前と違って、変なカップで飲ませるわけにいかないだろ。」 つまり、この偏屈な友人は、この少女のためにあのピンク色に熊の柄がプリントされたカップを買いに行ったと? 重症である。 ちゃんはしばし躊躇ったあと、恐る恐る部屋に入り、もともと小さな体を更に小さくしてテーブルに着いた。 「あの、有栖川さん、これ、どうぞ。」 ちゃんが消え入りそうな声で勧めてくれたのは、東京名物ひよこ型のお菓子。彼女の出身は東京なのだそうだ。 「おおきに。ちゃんも食べよか。」 「はい。いただきます。」 きちんと両手を合わせてからひよこを取る。端々に育ちのよさが表れているので、さぞやよい家庭で生まれ育ったのだろう、と私は思った。 「あんな、ちゃん。火村と俺の知り合いに、っちゅうんがおるんやけど、今度会ってみいへんか?」 「、さん?」 「おい、アリス。なに勧めてるんだ?」 熱いコーヒーを持ってきた火村は、迷惑そうに顔をしかめた。子猫のように可愛らしい嬢は、意外にも熱いコーヒーの方が好みだそうだ。 「いや、がこの間、ちゃんに会ってみたいゆうてたから。あんな、ちゃん。ってのは、版画描くんを生業にしてる、変なぽよぽよしたおねいはんや。この火村が学生時代から懇意にしている唯一の女性やから、怖い人やったり嫌な人やったりしないってことは保障するで。ああ、仲のええ唯一の女性やからって、別に彼女なわけやないんやけどな。それは心配せんでええよ。」 「アリスの恋人なんだよ。」 火村の揶揄に、ちゃんは不思議そうな顔をして私を見上げた。その私はというと、この程度のからかいにはすでに慣れているので、平気な顔をしてにこりと笑ってみせた。 「別に変な意味はあらへん。ただ、ちゃんが可愛いゆうたら、が一度会ってみたいゆうてただけで。火村も一緒にいてくれるさかい、怖かったら助けてもらえばええし。」 すると、ちゃんは火村を見上げた。 「火村さん、いいですか?」 「俺に聞くなよ。」 この少女、完全に火村に頼りきりのようである。火村はこういうタイプの女性が苦手だと思っていたのだが、どうやら認識を改める必要があるようだ。 「じゃあ、あの、有栖川さん。さんに、お会い、してみたいです。」 おそらく、
私はそのとき、満面の笑みを浮かべていたに違いない。 「さよか。せやったら、今メールするさかい、待っといてな。」 「ちょっと待て、アリス。あいつ、大阪にいるんじゃ、」 「昨日メールがあったんや。今頃は京大のなんとかいう講演会聞きに行ってるはずやで。メールすれば、一発で来る。」 「え? え!? い、今すぐですか!?」 「今すぐや。」 「そ、そんな、今、すぐだなんて・・・。」 少々対人恐怖症というか人見知りするらしいちゃんは両手で自分の顔を挟んで不安そうな顔をした。そういえば、初めて会ってからこうして一緒に話が出来るようになるまで、ずいぶんとかかったものである。そんな彼女に、突然全く知らない人物を会わせるのは確かに可哀想なことかもしれない。 「火村さん、」 助けを求めるようにちゃんは火村を見上げ、火村はあまり表情を変えずに返事をした。 「諦めるんだな。この調子だと、どうやらアリスはどっちにしろにメールを送る約束をしているみたいだから。」 さすが臨床犯罪学者。 「まあ、アリスが言うように、悪いやつじゃない。」 「・・・火村さんがそう仰るなら・・・。」 ふむ。やはり一介の小説家ではなく、権威ある学者の言うことに従うようである。 もちろんそれは冗談で、恐らく私などよりも火村の方を彼女は無意識に頼っているのであろう。珍しく火村も頼られることを嫌とは思っていないようで、どことなくこの二人の関係は微笑ましい。 私はなんだか嬉しい気分になって、携帯電話を取り出した。
反省会 アリスはただ単にラブらぶな二人を見て寂しくてメールしただけだったり。どっちかって言うと、アリスドリ? |