「へえ、じゃあちゃんは、ずいぶんと昔から僕のことが好きなんだな!」 こんな私に誰がした!?
突如としてそう叫んだエノさんに、私と秋彦兄さんは冷たい目線を送った。
「エノさん、僕は本を読んでいるんだから、突然大声を出して邪魔をしないでくれないか?」
「エノさん、私、今読書中なんです。大人しく寝ててください。」
上っ面は違っていても、結局云っていることは二人とも同じ。
黙ってろ。
ここに木場の旦那がいれば、「黙ってろ、って一言云えばすむだろうが。」なんて思うんだろうな。
二人にいっせいに冷たくされたことが不満なのか、エノさんは私が読んでいた本を取り上げた。
「ちょっと、エノさん! それ、借り物なんですよ。」 「はっ! どうせ京極のだろう? なら、神の手下のものだから、神がどう扱ってもいいのダ!」 「・・・いつも思うんですが、絶対にエノさんって、神は神でも希臘神話に出てくる神様ですよね。彼らほど人間らしくはないけど。」 「ナーキッサスを考えているのか?」 「エノさんの場合、円盤を避け損ねるなんてことはないですよ。ゼウスでいいと思いますけど?」 「こんな奴がゼウスだったら、神の世が既に消えているわけがよく判るよ。」
結局私は秋彦兄さんと喋ってエノさんを構わなかったのが更に気に食わないらしく、エノさんは私の腕を掴んだ。
「遊びに行くぞ! おい、京極! 猿に伝えておけ。ちゃんは預かったとな。」
可愛い妹より、その妹の犠牲のおかげでやってきた静寂の方を選んだらしく、秋彦兄さんは何も云わずに再び本を読み始めた。 いや、妹じゃないけどさ。これでも、妹分を自認しているんだけど。
途中で千鶴さんに行ってらっしゃい、などと云われながら眩暈坂を降りる。私の場合、降りさせられている、という感じだけど。
さて、一体どうしてこうなったんだっけ。
ああ、エノさんが何か云ったのに、私と秋彦兄さんがそれを無視したからだ。
ええーと、なんて云ったんだっけ?
―――へえ、じゃあちゃんは、ずいぶんと昔から僕のことが好きなんだな!
・・・「じゃあ」?
今までの経験則から云うと、たぶん、エノさんは私の記憶を見て、そういう結論に至ったのじゃなかろうか。
・・・記憶ねえ。
「僕の為に本を読んだんだろう?」
・・・・・・・・・。 あ、ああ、なるほど。
「誤解ですよ。私はただ、タツ兄さんや秋彦兄さんや、エノさんの会話に早く混じれるようになりたかったんです。悔しかったから。」
「つまり、嫉妬だな。心配しなくても、僕は隠花植物猿や、幽霊みたいな古本屋は好きじゃない! 僕は女学生の方が何倍も好きだ!!」
「はあ、そりゃどうも。」
いや、それ以前に、うら若い十五歳の娘を三十路男と比べないでクダサイ。
「だからって何故本なんだ!?」 「私が追いつけないのは、タツ兄さんたちより馬鹿だからだ、って思ったんです。何故かな、って思ったら、タツ兄さんはいっぱい本を読んでることを思い出して、だからいっぱい本を読んだら、タツに・・・はいはい、エノさんと同じ目線になれるんじゃないかと思ったんです。おかげで、今や十五歳にしては、妙なことを色々知ってますよ。その代わり、学校では浮いてますが。」
すると、エノさんは嬉しそうにくるりと振り向いた。大袈裟な動作だったが、エノさんがやるとやはり様になっている。
「そうか! なら、責任を取って僕がお嫁さんにもらってあげよう!! そうと決まれば、早速家を買いに行こう。あと犬と、レース編みの道具もいるな。」 「・・・またそういう変な発想を・・・。いや、それ以前に、確か法律じゃあ、私はまだ結婚できませんよ。」 「神に法律は関係ない!」 「エノさんはそうでも、私は神じゃないから無理です。あと一年待ってください。」
すると、エノさんは満面の笑みを浮かべた。
「仕方ない。じゃあ、来年だ! 来年になったら、結婚するぞ。」 「いいですよ。ああ、云っておきますが、私、ちゃんと学校行きますからね。結婚のため中退、ということはないようにしたいんです。」 「まあいい。大学にも行くのか?」 「いえ、さしあたって行きたいところもないので、高校を卒業したらちゃんと主婦しますよ。」 「そうか! ならいい。」
上機嫌なエノさんについていきながら、私は溜め息を吐いた。色々ごちゃごちゃと云ったが、どうせ明日には忘れているのだろう。彼はそんな人だ。そして、ややこしい自体が嫌いな私は、それを念頭において適当な返事をしておいただけだ。 我ながら性格が悪い。
・・・・・・こんな私に誰がした?
反省会 たまにはエノさんドリームらしいものをと思って挫折した。 |