なでごえ

 

 

?」

 恐る恐る声をかけると、三匹の猫と一緒に床で丸まっていた影はもぞもぞと動いた。だが、意識がはっきりするほどの刺激ではなかったらしく、うっすらと開けた目はすぐに閉じられた。

 火村は舌打ちをして腕時計を見た。今日はあと二時間で終わる。この二時間のうちに彼女が起きるかどうかが勝負の分かれ目だ。

 なんの勝負だよ、一体。

 自分の思考に毒を吐いて、火村は彼女を起こさないように猫のように密やかな足音を立てて灰皿の場所へ向かう。彼女が起きなければ自分は負けたことになるのだから起こせばいいような気もしたが、それでは意味がないのだと何故か思ってしまう。

 

 近くで起きた事件の関係者が大阪にいるというのでそちらへ出向き、次いで職業作家の友人宅に着いたのが午後の六時。今晩はそこに泊まろうとくつろぎ、友人とくだらない話をしていたのが、いつの間にやら自分の大家の親戚の少女の話になった。

「なあ、ちゃんて、いくつなん?」

 なんとなく年齢不詳なんやけど。

 コーヒーを飲みながら仕事を続ける作家はそう尋ねた。

「確か、今年十六って言ってたな。」

「はあ。十六言うたら、高校生やん。せやけど、ちゃん、高校行ってへんよな?」

 詮索するつもりやないねんけど。

「ああ、高校には通ってない。けどま、いまどきの高校生より、いや、うちの学生よりも物を知ってるぞ、あいつは。読書量が半端じゃねえ。しかも、ジャンルを問わずに読み漁りやがる。因みに、お前の本も読破したらしいから安心しろ。」

「なにを安心するんや。」

 呆れた顔で火村の方を向いた作家は、次いで卓上のカレンダーを見た。

「なら、ちゃんの誕生日はいつなん? 今度祝いしよて、が騒いどったで。」

「あいつ、なにをしでかす気だ?」

「まあ、ちゃん、こっち来て友達もおらんようやし、ええやん。あかんこっちゃないんやないか?」

「お前はいつでもの肩を持つからな。」

「やかましいわ。それはええから、詩織ちゃんの誕生日。」

「ああ、今日だ。」

「さよか。今日なんか。」

 きゅきゅきゅっ。

 マジックで、卓上カレンダーに作家は書き込んだようだった。しかし、その姿勢のまま数秒固まる。

「なんやて!?」

「だから、今日だっつってんだろ。」

 うんざりしたように火村が答えると、がたがたっ、と盛大な音を立てて作家は椅子から立ち上がり、必死の形相で火村に詰め寄った。

「帰れ!」

「は?」

「いま!すぐ!ケーキ買ってちゃんとこ行き!あんな、女の子はな、ちいちゃい頃から教育せんとあかんのやで!?」

 聞きようによってはかなりの問題発言をしていることには気付かず、作家は更に続ける。

「ちいちゃい頃から、イベントに対して貪欲にさせとかんと、こっちが空しい思いするんやで。うちんとこのを見てみい? ガキん頃から親御さんがずぼらだったせいで、年末年始くらいしかイベントせえへんのやぞ! この間、誕生日やからってせっかく美味いって評判のケーキ屋でケーキ買ってプレゼントまで用意してやったのに、返ってきた言葉が、『うわあ、アリスって、記憶力ええなあ。今日、うちの誕生日やったんやあ。』やぞ? 女は結婚記念日と誕生日とクリスマスとホワイトデーを忘れたら空かん言うから覚えといてやったのに、あっちは無頓着やから、どれだけ俺が空しい思いした思うてるんや!?」

「それはお前の勝手だろ。」

「やかまし! 今すぐ、ケーキ買ってちゃんとこ行きい。やないと、に言いつけたるで。」

 

 と、このような不毛な会話を交わし、なんだかよくわからないが家を追い出されてしまったので、火村は仕方なく作家の言う通り、ケーキを買って京都の北白川にある下宿に戻ったのである。

 それで大家の方に顔を出したら、が見当たらないので、何故か理不尽な気がして部屋に戻ることにした。

「で、ここにいると。」

 回想を終了させた火村は、タバコを灰皿に押し付けた。帰ってから電気をつけていないので、部屋の中は真っ暗である。こんな時間になっても姿を現さない少女に大家は心配しないのだろうかとも思ったが、彼女の行くところとすれば自分の部屋か火村の部屋くらいしかないので、恐らく大家はが火村の部屋にいることを把握しているのだろう。

 信用されているのかと思うと少々微妙な心境である。

 もしも今日中にが起きなければ、なにもなかったように接するつもりである。

 けれど、もしが今日中に、

 あと、一時間以内に起きたら、

「ん・・・。」

 んーん、と唸り声と共にの体は大きく伸び、起き上がった。

「あ、あれ?」

「ようやく起きたか。」

「え、あ、ひ、火村さん?」

 起き上がっても未だ寝ぼけた顔だったが、火村がいると気付いた途端には背筋を伸ばした。

「なにしてるんだよ、こんなところで。」

「え、い、いえ、あの、その・・・。」

 慌てて言い訳を探そうと顔を真っ赤にする少女を見ていると、いじめるのもなんだかかわいそうな気がしてきて、火村は無視して部屋の明かりをつけ、冷蔵庫から白い箱を取り出した。

「ほら、食え。」

 フォークと箱を卓に置き、ついでにコーヒーを入れ始める。箱の正体がわからずにうろたえるに「開けてみろ」と助言をやると、合点がいったかのようにいそいそと箱を開け始めた。

「ひ、火村さん、」

「なんだよ?」

「こ、これ、あの、ケーキみたいです。」

「俺が買ってきたんだから、中身は知ってる。それともなんだ? お前、ケーキも見たことなかったのか?」

 思わずからかってみると、は更に顔を真っ赤にして俯いた。ぼそぼそと、そういうわけじゃ、とか、そうじゃなくてその、とか、そういった言葉が聞こえてくる。

「誕生日だろ。やるよ。こんなんでよけりゃな。」

 ははじかれたように顔を上げたが、目が合った途端に再び顔を下に向けた。

 いい加減に人の顔を怖がるのをやめねえかな、コイツ。

 全く的外れなことを考えながら、コーヒーメーカーをセットした火村はの向かいに座った。

「おい、いらねえのか?」

「い、いりますいります! あ、あの、ああ、あ、あり、ありがとう、ございます・・・。」

 小さく「いただきます」と呟きながら手を合わせ、はフォークで持ってショートケーキをすくった。

「火村さんは、よろしいんですか?」

「いいよ、食っちまえ。甘いもんは、今はいい。」

 一応箱にはショートケーキが二つ入っていたのだが、帰ってくる途中で食事をすませてきたので、胸焼けのしそうな生クリームは遠慮することにした。

「あの、ありがとうございます。」

「もう聞いた。」

「あ、はい、すみません。」

 俯きながらケーキを食べるのそばに、一緒に目を覚ましたらしい猫三匹がねだるように擦り寄る。

「えと、桃ちゃんたち、これ、食べれないよ。甘いから、糖尿病になっちゃう。」

 それでも、みゃあ、と猫たちは鳴く。

「だめ、あげられないの。」

 新しいタバコを吸い始めた火村は、コーヒーメーカーのコーヒーができたのに気付いて立ち上がった。その隙に、は猫三匹に柔らかい声で言う。

「だめだよ。火村さんが、初めてくれたものなんだから。私だって、食べるのもったいんだよ。」

 

 



反省会
 どこが「ねこなでごえ」かと言うと、最後の主人公の台詞が実は猫なで声(ぇ
 助教授の勝負はまた後ほど・・・。ていうか、アリス主人公、出張りスギ。

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