深い森
自分で放った魔法の余波から受けた傷や、ここに来るまでに襲い掛かってきた動物に負わされた傷がたいてい治った頃から、はピーターに細々とした用事を言いつけるようになった。 「薪割りと自分の食べた食事の皿洗いくらいはしておくれ。魔法を使ってもいいから。ああ、杖はないんだっけねえ。あれでよければやるよ。」 他にも、魔法薬を調合しているときに補佐をしたり、たまにやってくる小鳥たちに餌をやったりと、わけのわからない仕事もたまに言いつかる。時に新しくもらった杖を使い、時に全くないといっていいほどの体力を振り絞り、ピーターは泣き言一つ言わずにそれに従った。 なにも言いつけられないときは、たいていは暖炉の前にある安楽椅子に腰掛け、英語とも古代ルーン文字ともつかない文字で書かれた本を読んでいる。そういう時は、なにもすることがないので、火のない暖炉によりかかり、ピーターはを観察することにしている。 外見は、二十代前半のように見える。髪は長く、手入れをしているところを見たこともないのにつやつやとしている。肌には張りがあり、抜けるように白い。整った顔立ちをしているが、少々痩せ気味だ。それでも美人の範疇には入るのだろう。欠点は、ほっそりとした、というよりは、血色の悪い細い枝のような手の指先ががさがさに荒れていることだろうか。 「あなたは、なんでぼくを助けたんだ?」 「お前さんが、死にたくなさそうだったんでねえ。」 ピーターは俯いて呟いた。 「放っておいてくれればよかったんだ。」 「死にたいのかね?」 「ああ、もう死んでしまいたいよ!! あの方はもういない、デスイーターは僕を付け狙う、ジェームズたちはもういない! 僕は死んだことになっているし、だったらいっそのこと死んでしまえば楽じゃないか!!」 「そうか。」 はぱたん、と読んでいた本を閉じておもむろに立ち上がった。
「Avada Keda・・・」 「うわあああああああ!!!!!」 が唱えているのが死の禁呪だということに気付き、ピーターは両腕で頭を抱えて叫び出した。途端、は弾かれたように笑う。 「馬鹿者め。死が恐ろしいと見える。」 「だ、だって、や、やややっぱり、死ぬのは、」 「恐ろしいかね? だったら、お前さんを殺すことができるような人間の前でそんなことは言わないことだ。死にたい、などとはな。本当に死ぬぞ。」 未だに笑いの余韻を残した声でそう言って、は再び安楽椅子に腰掛ける。 「だがまあ、お前さんは幸福だよ。死をなによりも恐れるのだからな。」 ピーターはゆっくりと腕を下ろし、恐る恐るを見上げた。 「し、死ぬことは、一番怖いじゃないか。」 「死など、恐るるに足らぬ。本当に、お前さんは頭が悪いな。肉体からの別離など、なにも恐ろしいことはない。逆に、この狭苦しい部屋から抜け出すことができるのだ。無上の喜びであるはずだぞ、死は。」 時々、はピーターには理解できないことを言う。それでもピーターは尋ねる。 「じゃあ、あなたが怖いものは?」 「死ではない、とだけ言っておこう。正直に答える義理はないからな。この世には、それこそ死よりも恐ろしいものはたくさんある。それに気付かない者は、死を恐れる。だから、お前さんは幸せ者だよ。死しか見えない。」 「へ、変なこと言わないでよ。」 「妙なことは言っていない。お前さんが、なにも見えていないだけだ。例えば、あたしはいくつくらいに見える?」 は優雅に右手を胸に当てた。 「あたしは醜いかね、美しいかね? 背中は曲がっているかね、それともきちんと立っているかね? 年老いているかね、それとも若いかね?」 「き、きれいだし、背中なんか曲がっていないし、や、やっぱり見かけ、若い、よ・・・?」 は乾いた笑い声を上げた。 「ほらみろ、やはりお前は阿呆の間抜けだ。なにも見えちゃいない。この世の流れの真実を、青い鳥を捕まえることなんてとてもできやしないんだ! だからこそお前さんたちは争い、血を流し、そして累々と積み上げられた屍の上で愛し合う者どうし抱き合うのだよ。」 は再び立ち上がり、恐怖で口が聞けなくなったピーターの前に跪いた。 「阿呆の間抜けの馬鹿者め。お前もなにも見えない者と同じなら、この顔を正面から見ることは厭わないだろう。だが、ひとたび寝所で暗闇包まれ、あたしの体を触れば、それがただの土塊人形と同じだということに気付くのだろう。愚かしい。さあ、あたしに触れてみるがいい。ほら、この頬に、唇に、指に、全てに触れてみるがいい。こうして日が目を灼いているうちはいい。真実が見えず、偽りしか見えぬから。だが、弱い月明かりの下で見たあたしは! ただの盲いた老婆なのだよ!」 ふわり、と薬草の香りが漂って、ピーターの体を包む。恐ろしいのか条件反射なのか、ピーターは目をきつく閉じた。 だから、そっと儀式のように唇を寄せたの顔を、見ることはなかった。
反省会 どうでもいいですか。そうですか。 |