「遊びに行くぞ、鴉城!」
デートに行こう! JDC(日本探偵倶楽部)総代鴉城蒼司は、現在悩んでいた。数々の難事件をその驚異的な集中力によって電話口で解決するS探偵は、目の前のほんの些細な問題に関して頭を抱えていた。 「遊びに行くぞ、鴉城!」 「行けるわけがないだろう。」 「何故だ? お前がいなくなると、telephone detective をする者がいなくなるからか?」 「わかっているなら、」 「お前は恋人よりも仕事を取るのか! この企業戦士めが!!」 五分前から繰り返されるこの問答に、もはや「誰が恋人なんだ」や「ここは企業ではないだろう」などといった返事をすることにすら疲れた鴉城は溜め息を吐いた。こういうときに限って、事件の解決を依頼する電話は小休止を取っているのか鳴らない。ひとたび呼び鈴が鳴り、事件が持ち込まれれば目の前の少女も一応黙ってくれるというのに。 「ちゃん、今日は何にします?」 「フォションのアールグレイ。あと、舞夢。昨日持ってきたクッキー、残ってるか?」 「冷やして用意してあるから、一緒に持ってきますね。」 そうやってもてなすと門限が近付くまで総代室に居座る彼女を知っていて、総代補佐の半斗舞夢は当然の如く鴉城の恨めしげな視線を無視してにこりと微笑んだ。少女はそれに対して礼も言わず、何の感慨もなさそうな顔をして鴉城を睨みつけた。 少女の名前は という。すらりとした肢体に、日に焼けない白い肌、手入れの行き届いた長い黒髪、少女と女性の中間にある顔には強い光が見える黒い瞳が一対。美人の基準が曖昧となっている昨今にあって、恐らく万人が認めるであろう美人である。 黙ってさえいれば。 鴉城はこの娘が苦手であった。その原因は恐らく、彼女の強引且つ不遜な性格にペースを乱され、押されてしまうからであろう。あの龍宮城之介でさえ、時には彼女に白旗を揚げるのである。 だが実際のところ、昨今の女子高生にありがちな露出度の高い服装が苦手なのかもしれない。今もは制服のスカートを超ミニスカートに改造してはいている上に、ソファーの上で形のいい足を組んで座っているのである。思春期の少年のように緊張するわけではないが、もう少しまともな服を着てほしいと半ば父親に近い心境で思うのである。 実際、とは親子のような関係なのである。表向きの関係としては、友人の娘であり息子の幼馴染。しかし、は母親を早くに亡くし、父親も世界を飛び回る有名なデザイナーであるため、親の留守中は鴉城が(または鴉城の妻が)彼女を預かり、息子の蒼也共々育てたのである。そして数年後、どこをどう間違えたのか、は親子ほどに年の離れた鴉城を気に入り、毎日のように総代室に押しかけては遊びに連れて行けとごねるようになったのである。 舞夢の用意した紅茶を上品に飲み、喉を潤してからは口を開いた。 しかし、更に続くはずであったのおねだり(という名の駄々)は途中で中断された。 「失礼します。」 ノックの後に入ってきたのは、第一班班長の刃仙人であった。 「お取り込み中すみませんね、くん。総代をお借りします。」 鴉城にとっては都合の悪いことに、JDCのほとんどのメンバーはのことを歓迎している。傲岸不遜差はなぜか愛らしい気の強さと捉えられ、総代室への日参も微笑ましいという眼で見られている。一部ではずいぶんと猫可愛がりされているようで、「鴉城に今日もふられた!」と言って暴れる彼女を時には食事に連れ出す者もいるらしい。そして何故か、第一班のほとんどの班員は、総代の鴉城よりもを優先するのである。今入ってきた刃も、総代である鴉城よりも先にに断って入室したくらいである。 三大悲劇と呼ばれる事件のときでさえもこれほど深くはなかったのではないかと思うほどの溜め息を吐き、鴉城は刃に視線だけを向けた。 「第三応接室に、京都府警の方がいらしています。舞夢さんは少し仕事が残っているようでしたので、代わりに呼びにきたんですが・・・。」 「ああ、すまないな、刃さん。今すぐ行く。だから、。今日はもう帰りなさい。」 「イヤだ。」 「。」 「ぜぇ――――っだいに、い、や、だっ!」 は羽が生えているかのような軽やかさで鴉城のデスクまで走り、ひょい、とデスクに飛び乗る。パソコンのディスプレイを蹴倒さないあたりはきちんと考えて行動しているようである。 「今日こそ、今日こそ鴉城と遊ぶんだああ!!!」 デスクの上で地団太を踏むので、思わず鴉城は上半身を後ろに反った。白く細い足首が視界に入る。 「嬢、あまり総代を困らせないでほしいのだが。」 騒ぎを聞きつけたのか、突然総代室に入ってきた龍宮城之介が困ったように笑う。普段、女性は苗字に嬢をつけて呼ぶ彼だが、が「って呼ばないと泣いて喚いて叫んでJDCに爆弾を仕掛けてやるぅ!」と駄々をこねたため、二人の妥協案として下の名前に嬢をつける呼び方をしている。 「城之介! お前は鴉城の味方をするのか!?」 「味方も何も、総代は現在勤務中だよ、くん。」 「仙人! お前も私の敵か!?」 敵味方もないだろう、とこの場にいた男性は全員思っただろうが、はそんなことはお構いなしにデスクの上で飛び跳ねる。 「鴉城と! 遊びに! 行きたいんだ!!」 「、」 「あたしを一人にする気か!?」 その言葉に、鴉城は少々たじろいだ。彼女が意図したにせよしていなかったにせよ、その言葉はずいぶんと昔にした彼女との約束を思い出させる。 『一人は、嫌よ。』 『みんな、私を一人にするの。』 『鴉城も、私を一人にするんでしょう?』 『私より、先に死ぬんでしょう?』 『だって、いつ殺されてもおかしくない仕事してるもの。』 『ううん、あなたが探偵でなくても、あなたが先に死ぬわ。』 『私を、必ず一人にするわ。』 一体、俺にどうしろと言うんだ。 記憶の中のと目の前のに内心毒づく。 大声で叫んだら気が済んだらしく、は机からひらりと飛び降り、刃の腰に抱きついた。 「仙人ぉ〜、鴉城が無視するぅ〜。」 「なら、私じゃあ、総代の代わりは務まらないけど、お食事をご一緒してもらえますか?」 にこり、と子供をあやすように微笑んだ刃に、は満足そうに頷く。 「仕方ない。仙人がそこまで言うなら、食事に付き合ってやる。じゃあな、鴉城。今日はもう遊んでやらないからな。」 「早く帰れ。悪いな、ジンさん。」 騒動の種を預かるという刃に片手を挙げる。刃は困ったように首を傾げながら笑う。 「嬢、龍宮もご一緒していいかな? 久々に嬢と食事をしたいのだが。」 「ふん、そんなに言うなら来てもいいぞ。」 先に行ってるから、と龍宮の手を引いて総代室からパタパタと出て行くに、すぐに追いつきます、と刃は声をかけ、鴉城に向き直った。 「まったく、毎度のことだが、あの娘はどうにかならないのか?」 「それは、総代の態度次第だと思いますが。」 どことなく不服そうな顔をして刃は答える。そんな表情をされる心当たりがないので、鴉城は眉をひそめた。 「何が言いたい?」 「総代、いえ、鴉城さん。そろそろご自分の本心をくんに打ち明けたらどうですか? 彼女ももう十七ですよ。」 刃の言いたいことを察して、鴉城はますます眉間のしわを深くした。 「はまだ子供だ。」 「そう思っているのはあなただけです。一体何人の探偵がくんに見とれていると思っているんですか。それでも誰も手を出さないのは、総代に遠慮してのことですよ?」 いつになく手厳しい口調の刃に鴉城は苦笑する。彼がのことを妹のように可愛がっていることを知っているからだ。以前は恋愛感情なのではないかとも思い、それとなく尋ねてみたのだが、彼にその気はないらしい。ほっとしたような、残念なような、妙な気持ちになった。 「とにかく、きちんと考えておいてください。あと三年もすれば、彼女も法的には大人になってしまうんですから。」 そう言って刃は出て行く。返事に窮していた鴉城には都合がいい。が、逆に考え込まされてしまう。 これから、にどう対応しよう。 「いや、京都府警が待っているんだったな。」 わざわざ口に出し、鴉城は葉巻に火をつけた。応接室に行かなければならないのはわかっているが、それでも座ったまま立ち上る紫煙を眺める。 ―――一体何人の探偵がちゃんに見とれていると思っているんですか。 知ってるさ。いつ彼女がその視線をたどって行ってしまうかと、いらいらしているんだから。 ―――あと三年もすれば、彼女も法的には大人になってしまうんですから。 知ってるさ。その日が来るのを、ずいぶんと前から覚悟していたのだから。 だが、自分と彼女は、親子ほどにも年が離れているのだ。自分は彼女がランドセルを背負う前から知っている。そんな子供の彼女を知っている自分が、今の彼女に触れるなど、 「馬鹿馬鹿しいな。」 世間の目だとか、倫理観だとか、そういったことではない。自分の子供同様に育ててきた彼女に、今更何を言えばいいのかわからないのだ。 「それに、今更言えるか。」 紫煙と共にそう吐き捨て、鴉城はようやく腰を上げて第三応接室へと向かった。 |