座敷の家

 

 

 私が初めてタツ兄さんに会ったのは、かなり昔のことらしい。正月で親族が祖父の家に会する日、たまたま鬱状態ではなかったタツ兄は珍しく実家に帰っていた。そこで弟が二年前に結婚していたことを知り、酷く動揺したそうだ。東京での一人暮らしとはいえ、兄弟の近況にまったく興味のなかった自分を恥じたらしい。

 酒が入って騒がしくなった座敷に辟易していたところ、隣の部屋に続く襖が開き、小さな赤ん坊が入ってきた。奥を見ると母親(弟の嫁と先ほど紹介された)は疲れきった顔で寝ていた。そういえば、先程赤ん坊を寝かしてくると彼女は隣に下がっていた。慣れない夫の実家での疲れが出たのであろう。そう思ったそうだ。

 赤ん坊は騒ぐ大人たちを小さな目で見上げて不思議そうにしていた。タツ兄さんは場に気圧されて隅で呆けていたので、赤ん坊の一挙手一動を眺めることができたらしい。

 

「その赤ん坊が、私? 私、そのとき変なことしなかった?」

「・・・した、かな。」

 タツ兄さんは秋彦兄さんの出した出涸らしの白湯で口を湿らせて首を傾げた。

「な、何したの?」

 隣の蕎麦屋に注文しに行った秋彦兄さんを待つ間、何故かこんな昔話になってしまった。

「ああ、その後、廊下に出てしまったんだ。さすがに、追いかけた方がいいかな、って思って、僕も廊下に出た。」

 

 赤ん坊は意味不明の言語を呟きながら廊下を進んだ。特に危ないことをしているわけでもないので、タツ兄さんはそのまま何も言わずに赤ん坊の後をついていった。

 赤ん坊は奥の部屋の前で止まった。その部屋の障子は閉まっていなかったので赤ん坊は簡単に部屋に入っていった。タツ兄さんは戸惑いながらも赤ん坊と一緒に部屋に入った。

 そこは狭い部屋だった。何の家具もなかったので、今ではほとんど使われていない部屋なのだろう。その部屋の隅へ赤ん坊はまっすぐに這いより、ぴたりと止まった。

「あー、あ。あう、うー。」

 赤ん坊は手を隅へ伸ばしながらそう喋った。少なくとも、タツ兄さんの目には喋っているように見えたらしい。

 

「喋ってた?」

「ああ。そのときは思わず、座敷童でもそこにいて、ちゃんと喋っているのかな、って思ったよ。」

 座敷童。その考えはなかなかに面白い。

「次の年も、その次の年もね、そうしていたよ。ただ、君が五歳くらいかな?になってからは、そんなこともなくなっていたけど。」

 五歳。

 母が、死んだ年だ。

「じゃあ、いなくなったんだよ。あの家から座敷童がいなくなったから、我が家に不幸は訪れた。母が狂い死に、父は子供を顧みなくなったのが、ちょうどそのあたりだから。」

 父は祖父母と一緒にあの家に私たちは住んでいた。だから、その座敷童が実家にいたということは私の家にいたことになるのだ。

 タツ兄さんさんは余計なことを云ってしまったと思ったのか、非常に罰の悪そうな顔をした。私はさらりと云ったつもりだったのだが、タツ兄さんには自嘲するように聞こえたようだ。そんなつもりはなかったので、私は慌ててフォローをしようと思ったが、何と云っていいのかわからずに口をパクパクと金魚のように開け閉めをした。言葉が見つからないのはタツ兄さんも同じらしく、二人して失語症に陥って奇妙な沈黙を作り出してしまった。

「一体どうしたんだい、二人とも。同病同士で失語症を再発させてどうするんだ。」

 そこに岡持ちを持った秋彦兄さんがやってきて、呆れたようにそう云った。

「ちょ、ちょっと待ってよ、秋彦兄さん。それじゃあ、私まで失語症の鬱病患者になるじゃない。」

「違うのかい?」

「違います。私はタツ兄さんと違って円滑に生活を送っていますっ。」

 別に失語症や鬱病の人を差別するつもりはないけれど、私はタツ兄さんみたいに暗いじめじめした女じゃないことだけははっきりさせておきたかった。

 それとも、こう思うことがすでに差別なのだろうか。

「まあ、確かにちゃんの方が、こんな猿男よりも前途明るい若者だがね。」

 秋彦兄さんは私の前に狐饂飩を置いて笑った。タツ兄さんの前には狸蕎麦。いつものように、優柔不断なタツ兄さんの分は秋彦兄さんがタツ兄さんの意見も聞かずに決めた。そして秋彦兄さんは月見饂飩。卵の横に浮いている人参が美味しそうだったので、私は了解を得ずにそれをちょっとだけつまんだ。

 雪絵さんの料理ほどではないが、隣の蕎麦屋は蕎麦も饂飩も値段の割に旨い。しかし、タツ兄さんが云うには昔はもっと安かったそうだ。

 

「ねえ、秋彦兄さん。座敷童がいた家は、座敷童がいなくなると不幸になるんだよね?」

「まあ、そうだが・・・前にも言ったがね、座敷童がいなくなるから不幸になるのではなく、不幸になったから、そういえば座敷童が去るのを見た、という目撃談が出てくるのだよ。」

 ああ、確かに聞いた。だが、私の家から座敷童が出て行ったところを見たことのある人はいない。そこまで裕福には見えなかったのだろう、我が家は。でも、

 

 私は居間の隅に目をやった。そこには闇があるだけで、誰もいない。

 タツ兄さんと秋彦兄さんといる自分は、不幸じゃない。

 だから、この家には座敷童がいるのかもしれない。我が家から逃げてきた、座敷童が。

 








反省会
 これのどこがエノさんドリームだパート2。

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