Sleeping Beauty
誰かに呼ばれた気がして、私は目を開けた。すると、それまで髪をゆっくりと撫でていた手が止まって、誰かが顔を覗き込む気配がした。
闇に包まれたように視界が暗くなるのは、ただ影が落ちたからではなく、相手が黒ずくめだからだ。
そう気付いた。
「目が覚めたのか、嬢?」
黒衣の言司家という二つ名の通り、彼は言葉を操るのが本当にうまいと思う。覚醒しかけていた意識が、柔らかい声のおかげで再び霞んでくるのがわかる。
「今、何時ですか?」
普段の自分からは想像もできないような、ふにゃふにゃとした声だ、と思った。普段の自分なら、たとえ寝起きであっても冷たく固い声しか出せない。鏡がないので確認できないが、顔も、いつものような無表情ではなく、ぐずる子供のような情けない顔をしているのだろう。
それでも、そうさせたのが彼だと思うと、全く嫌だと思えないのは、何故なのだろう。
「ちょうど、六時を回った頃だな。」
「じゃあ、起きないと、」
「こらこら。まだ寝てるんだ。嬢は寝るのが下手なんだから、寝られるときに寝ておかないとだめだろう。龍宮なら今日はたっぷり時間があるから、このまま寝てなさい。」
「なんですか、寝るのが下手って。」
くすくすと笑うと、その振動がくすぐったかったのか、彼はふふ、と笑った。
「ああ、もうすっかり目が覚めちゃいましたよ。」
ゆっくりと、彼の膝から頭を上げる。寝始めたのが夜の九時頃だったから、九時間も寝ていたことになる。その間中ずっと彼に膝枕をされていたのだと思うと、恥ずかしい以前に申し訳なさが先立つ。ズボンもすっかりしわが寄ってしまった。足も痺れているのだろうな。
「言っておくが、謝ることはないぞ、嬢。龍宮は好きで嬢に膝を提供しているんだからな。」
「・・・変な好みですね。」
私、は彼と同じJDCの探偵だ。彼よりも下位の班にいるが。そして、私の推理方法は、「推醒夢視」と呼ばれる。それまでに蓄積したデータから、覚醒している部分の脳が寝ている間に勝手に推理をし、その推理した結果を脳が夢という形で再現させる。
すなわち、私はデータが揃うと、殺害の現場を夢で視てしまう。
そして私の推理は、事件に対してだけ行われるのではない。謎など、世間のあらゆるところに転がっている。謎とさえ呼ばれない些細な「知らないこと」もまた然り。
私は、寝ている間にその全てを視てしまう。
例えば、人が、何を考えているか。
だから、私は眠ることが怖かった。
けれど、寝ずにすむ人間は稀にしかいない。私は、その類稀なる人種ではなかった。自らに眠りを禁じ、そのせいで日に日に憔悴していった。
するとあるとき、彼が解決策を見出したのだ。
「実はな、龍宮はある法則を見出したんだ。龍宮の推理が間違っていなければ、嬢は安心して眠ることが出来る。」
あるとき、事件が私の「推醒夢視」で解決した直後、寝ることが怖いと言った私に、彼はそう言った。
「嬢は、人に触れて寝てると、推理をしないんだよ。たぶん、安心して、脳が本当になにも考えなくなるんだろうな。」
不思議なことに、彼の言う通り、誰かに手を握ってもらったり、誰かに隣にいてもらったりしながら寝ると、私は推理を全くしなかった。十何年かぶりの安眠が私に訪れるようになった。
「だから、寝たいときはいつでも龍宮のところに来るんだ。必ずそばにいるから。」
そう言ってくれた彼に甘えて、私は眠気を覚えると必ず彼の姿を探した。別に、彼でなくても、誰でもとにかく触れていてくれればいいのだが、私は必ず彼の姿を探す。
彼のそばが、一番安心して寝られるのだ。
私はソファの上にきちんと座っている彼の肩に額を押し付けた。彼は仕方がなさそうに笑って、手袋のまま私の頬を撫でる。
「夢を視たのか?」
「いいえ、まったく。」
本当は、ちょっと夢を視たいと思っていた。こんな風に思うのは初めてだ。
私が今、一番視たい夢。
それは、
「それはよかった。嬢の役に立てて嬉しいよ。龍宮が嬢のためにできることといえば、非常に限られているからな。」
彼は、私のことをどう思っているのだろう。
会話や、簡単に膝枕をしてくれることから、憎からず思っていることはわかる。
けれど、それだけじゃいやだ。
「龍宮さん、」
「なんだい、嬢? どこか具合でも悪いのか?」
私は顔を上げて、少年のような顔を覗き込んだ。
黒い瞳に、自分の顔が写る。
あ、
ああ、そうだ。
私は、今、なんて馬鹿なことをしようとしていたんだ。
「私、明日から茨城に出張に行くんですよ。」
彼の瞳に写る自分は、可愛げのない、無表情な女で、
―――私のこと、どう思ってますか?
私は、龍宮さんのことが、好きです。
そんなこと、言えるわけがない。
ぱちん
突然、軽い音と痛みが頬に走った。
「それは、嬢の悪い癖だぞ。」
軽く、彼は両手で私の顔を包む。
「なんでも自分の中で溜めるのは、悪い癖だ。龍宮みたいに、言葉はなんでも外に出さないとだめだぞ? だから変な夢を視るんだ。」
彼の瞳の中には、間の抜けた表情をする女が一人。
「これだから、嬢は一人にしておけないんだ。いつも龍宮が見張ってないとな。すぐにストレスを溜めてしまう。」
彼は子供を叱るような感じで言って、それから私の額に唇を当てた。
「けれど、嬢の出張についていくわけにもいかないしな。龍宮も明後日から北海道だから。だから、おまじないだ。ちゃんと、嬢が寝られるように。」 「そんな・・・ちゃんと寝られたら、事件が解決できないじゃないですか。」 「なら、龍宮は北海道の事件をあっという間に解決して、そちらの援軍に行こう。」 なんでこの人は、 こんな、可愛げもない私に、 いつもいつも、欲しいときに欲しい言葉をくれるのだろう。
彼の笑った顔が、あまりにも眩しくて、私は不覚にも涙が出た。
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