スカイ・

 


 空を飛ぶ夢を見ていたのは小学生の頃まで。

 それでも長い方だと自分では思っていた。

 中学生からは、夢見がちな本を読んではいたけれど、それを隠して隠して、現実を生きていた。

 高校生になって、大学生になって、仕事を始めて。

 人生面白おかしく、刹那的に生きてはいるけれども。

「いやはや、思えば遠くへ来たもんだ。」

 手をあげればいいのか動かずにいればいいのかわからず、は首を傾げた。

 現在、航空自衛隊百里基地から離陸した輸送機内。

 動くな、手をあげろって。

 困惑して隣で冷静に事態を見ている竜堂続を見ると、彼もレインジャーの矛盾する台詞におかしさを覚えているようだった。

 この非国民ども、とわめき散らす首相を呆れて見据える。やはり小人だ、とは内心溜め息を吐く。レインジャーたちが迎えに来た途端、死人のようだった顔が見違えるほど元気のいい生者になっている。

 阿呆らしい、と壊れた天井を見上げる。あんなところに七人も隠れていたなんて、ご苦労なことだ。竜堂兄弟は気付かなかっただろうか。

 そこまで考えて、ああだからか、と三男坊の行動に合点が行った。なら平気だろう、と高をくくっていると、べちん、と濡れた破裂音がした。

 首相が、虹川の頬を張ったのだった。

 考えるよりも体が先に動いた。

 いや、動こうとした。

 の行動などお見通しであるかのように、すぐさま竜堂続に片手だけで動きを止められる。

「およしなさい。」

「だが、」

「あなたが動いてどうにかなる状況じゃないでしょう。相手は訓練を受けた人間です。僕たちじゃないんですから、さんはおとなしくしていてください。」

 囁きに声を荒げて反論したかったが、すぐに更なる鈍い音に意識が向く。

 今度は、蜃海が殴られたのだった。

 刑事の虹川や自衛隊員の水池は体格がいい。だからといって殴られて平気とは思わないが、いかにも力のなさそうな蜃海を平気で殴る行為に、は再び動こうとする。

 だが、やはり竜堂続が顔色も変えずにを止める。抵抗しようにも、常人のには、竜堂家に抵抗するだけの力はない。

 歯噛みしながら事態を見守る。首相がレインジャーに水池の首根っこをつかまえろと命令する。

 さすがに、竜堂続もの口を止めることはできなかった。

「いい加減にしておけ。」

 抑えられた低い声に、首相はびくりとして振り返る。竜堂続に捕まえられながらも、怒りで震えるの目を真正面から見てしまい、元気のいい生者だった首相は再び死者に近付いた。

「な、な、なにを、わ、私を一体誰だと、」

 レインジャーがいても、心底から怒りを発しているには気圧されるらしい。だが、すぐさま自分たちの方が有利なのだということを思い出したらしい首相は、続がを押さえていることも知らず、つかつかと歩み寄る。

「こ、この、非国民め! お、女だからと思って優しくしておけばつけあがって!」

 べちん、と濡れた破裂音がする前に、続は手を放すべきだった。

 だが、まさか女性に手を上げるとは思わず、続の反応は遅れた。

 数秒、自分がなにをされたかわからず、は殴られた体勢のまま固まっていた。

 暴力に出会ったのが初めてというわけではない。

 けれども、咄嗟に対応ができなかったのは、も殴られないだろう、と高をくくっていたのだ。

 数秒空気が固まり、抵抗する体勢が整う直前。

「その程度にしときなよ。」

 ひゅん、となにか細いものが飛び出し、レインジャー四人をなぎ倒した。竜堂家の動体視力では、きちんとそれが縄だということは認識できた。

ちゃん、大丈夫!?」

 トイレに潜んでいた終が躍り出ると同時に、続が水池を押さえていた二人のレインジャーを倒す。

 その間、終はに駆け寄る。

ちゃん!」

「先生と呼べ。」

「んなこと言ってる場合じゃないだろ!」

 ぐい、との顔を自分に向ける。色の白い顔が、左だけ真っ赤に腫れている。運動なんかほとんどしていなさそうな首相の力でこれだけ真っ赤になるほど、の肌は弱いのだ、と終は改めて自分との違いに気付く。

 そぅっと左頬に指を這わせる。左手は冷たいのに、右手だけ、熱を持った左頬で温められる。

 ふと視線をずらすと、目の前にの整った顔があった。くっきりとした切れ長の目、長い睫毛、通った鼻筋、色の薄い唇。

 はっと気付いたときには、睫毛と睫毛が触れ合うほどの近さに顔があった。

「う、わわわわ!」

 ぱっと手を放して後ろに下がろうとする。慌てすぎてひっくり返りそうになったのを、が苦笑しながら引っ張りあげる。

「大丈夫か?」

「う、うん、」

「ばーか。」

「なにのほほんとしてるんだ、嬢ちゃんたち。」

 蜃海が呆れたように言うのに、と終は慌てて現実に戻る。

「・・・一体、なにが起こっているんですか?」

「緊急事態のランプがついた。どうやら、計器がやられたらしい。」

 慌てて操縦室に駆け込むと、水池と虹川が焦りつつも軽口を叩いているところだった。

 終は兄と弟と顔を見合わせた。

「おれたちは、たぶん、落っこちても平気なはずだけど、この人たちはみんな死んじゃうぜ。」

 不吉なことを言うな、と頭をかきながらは辺りを見回す。竜堂一族はなにやかやと相談しているらしい。パラシュートがなんとか。

 一応、にはスカイダイビングの経験がある。だが、それもインストラクターと二人での経験である。自分一人でパラシュートを使えるとは思えない。

「まさか、飛びおりる気じゃないだろうな。」

 水池が続の秀麗な顔を見る。どうやら考え込んでいた間にそんな話になっていたらしい。

「あなたの想像の範囲内で残念ですが、そのとおりですよ。」

「待てよ、パラシュートの使いかたを教えてやる。まにあわんかもしれんが・・・・・・・。」

「説明している暇はありません。どいてください。」

 続が水池を押しのける。その腕を、がつかんだ。

さん・・・邪魔はしないで下さい。」

「するよ。なに無謀なことしようとしてるんだ、このガキ。」

さん、」

「あのな、私はあんたらの長兄からあんたらのこと任されてるんだよ。竜堂始がいないからあんたがトップに立つのはわかるが、いいのか?」

「これ以外、方法がありません。」

 の手を振り払おうと思えば、続には簡単にできたのだろう。それでも水池と違っておとなしくつかまれたままでいるのは、に対して敬意を払っているということか。

 数秒見つめあった状態を崩したのは千歳だった。

「わーったわーった。好きにしろい。」

 なにを言っても仕方がない。頑固なのは竜堂家の家風なのだろう。

「ありがとうございます。」

 にこりと笑った続は、水池に扉の開け方を問い、答えのままに扉を開ける。ごう、と空気が逆巻く。顔を庇うために腕を顔の前に掲げ、顔を背ける。

 すると、後ろで固まっているレインジャーと首相たちが視界に入る。

 だから、だけ気付いたのだろう。

 一人のレインジャーが、立ち上がって勢いよく竜堂兄弟に飛びかかる。

 兄弟たちは気付かない。

 一人、その動きを見ていたが、咄嗟に兄弟を突き飛ばす。

 と同時に、レインジャーがにぶつかる。

 予想はしていたものの、成人男性にぶつかられてはたたらを踏む。

 ふわ、と。

 緩やかに、ゆっくりと、千歳は扉から外へ倒れこむ。

 寒い、と思ったのが最初。

 それから、ふわり、と無重力に包まれて、苦しくなる。

 ああ、高度が高いから酸素が薄いんだ、と思ったのは、輸送機から落ちてから、少し経ってからだった。

 

 

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