愛し君へ
「愛してるわ!」 テレビの中の女優が叫んだ。まあまあ綺麗で、まあまあ可愛い。でも、だからって向かいで涙ぐむ男みたいに、彼女のために家族を捨てて会いに行こうとは思わない。 「俺も・・・愛してるよ。」 ―――トントントン 台所にいるちゃんを見る。学校でのスーツとは違って、色気も素っ気もないTシャツにジャージ。薄地のシャツを透かして下着の線が見えてたけど、努力して見えないふりをした。 ―――トントントン 俺は、ちゃんのために兄貴たちを捨てられるかな? ―――トントントン ・・・だめだ。そんなこと想像もつかない。 じゃあ、俺はちゃんを「愛して」ない? 「ちゃん。」 「なんだ?」 生徒も誰もいないから、今だけはちゃんって呼んでも怒られない。本当は、こういうときでも先生って呼んで欲しいのは知ってる。でも、そんなの嫌だ。 「愛って、なに?」 ―――ガシャンッ 「なにをとーとつに・・・」 「ちゃん、大丈夫?」 それまでリズミカルに聞こえてきてた包丁の音はやんで、耳障りな金属音が響いた。俺は慌てて台所へ行く。 「全く、一体どうしたんだ、突然?」 ちゃんは落としたらしいボールを拾って流しに置いた。俺は決まり悪くて顎を掻く。 「さっき、テレビで、さ、」 「そんな台詞でも出てたか?」 ちゃんは苦笑してまた包丁とまな板でリズムを刻み始めた。 ―――トントントン 「愛とはな、幸福の財布だそうだ。」 「財布?」 「与えれば与えるほど、中身が増す。」 「はぁ。じゃあ、使えば減るの?」 「その代わり、相手の財布の中身が増すんだろう。」 台所の入り口で突っ立ってるのもなんだったんで、手伝う、と言うと、ちゃんは皮むき器とじゃがいもを投げてよこした。 ―――トントントン しゃり しゃり しゃり ちゃんと違って、綺麗なリズムにはならない。 「いまいち、よくわかんないんだけど。」 「私もよくわからん。元が横文字だからなあ。まあ、フィリアとでもアガペーとでも、お好きに。」 「もっとわかんねえよ。」 ―――トントントン しゃりしゃり しゃり 「確か、聖書でも読めばもっと詳しいことが載ってるはずだ。ずいぶん前に読んだから、全く覚えていないが。」 「と、聖書はお前たちの敵だったな。」とちゃんはにんじんとたまねぎをザルに入れながら笑う。俺が皮をむいたじゃがいもは、一瞬のうちに大きめに切られる。 「いただきます。」 「いただきます。」 小さな座卓に向かい合わせになって晩ご飯。今日のメニューは、ご飯と肉じゃがとほうれん草のおひたしと鳥のから揚げと昨日の残り物とねぎと豆腐とわかめの味噌汁。ちゃんのご飯茶碗は小さめ、俺のは茶碗っていうより丼。 ちゃんはあんまり食べない。たまに、一日一食で過ごしてることもある。燃費良すぎ。 「やっぱうまいなあ、ちゃんの料理。」 「お前がじゃがいもの皮をむかなければ、もっとうまかったぞ。」 「そーいう言い方はねえじゃんかあ。でもうまい。」 「はいはい。」 うまいうまい、って連呼したけど、そのうち喋ることに口を使ってられなくて、食べることに集中する。その頃には、ちゃんはもう食べ終わってて、頬杖をついて俺が食べてんのを見てる。 「お前、本当にうまそうに食べるな。」 「だって、うまいんだもん。」 ほとんど必死になって平らげると、ちゃんは苦笑した。 「本当に、お前さんが来てくれると冷蔵庫が綺麗になって助かるよ。一人だと、一週間くらいかかるからな、この量。」 さすが走る残飯処理機、ってちゃんは笑う。 俺はむきになって卓の上の食器を全部空にした。 「ううー、満足満足。ご馳走様でした。」 「お粗末さまでした。」 二人で食器を流しに片付ける。洗い物はちゃん、俺は拭いて食器をしまう係。 「なあ、さっきの話の続きなんだけど。」 「さっき?」 「愛、の話。」 お椀の泡を流しながらちゃんは俺を横目で見た。俺は皿を棚にしまって首を傾げた。 「ちゃん、俺が全てを捨てて俺について来い、って言ったら、どうする?」 「ぶん殴る。」 きゅっ、とちゃんは蛇口を捻る。水が止まる。 「あ、やっぱり?」 「私がなにか捨てなきゃならないほど未熟なら求愛するな。ってぶん殴って、そのあと、竜堂始と竜堂続に言いつける。」 「なんだよそれ!」 「そういうことは、一人前になってから言うんだな。」 続兄貴みたいに笑うちゃんがむかついたので、俺は台所から飛び出してちゃんのベッドに寝転んだ。 「あ、こら、」 「眠いから寝るー。」 「お前なあ。食べるだけ食べて手伝わないつもりか?」 「食った分は手伝ったもんねー。」 布団の中にもぐりこむと、ちゃんの使ってるシャンプーのにおいがして、なんとなく、緊張した。 「おい、竜堂。本当に寝る気か?」 台所に背中を向けてるから、ちゃんの声は肩越しに届いた。 「うん。マジで眠い・・・。」 「腹の皮が張ると目の皮が弛む、とはよく言ったもんだな。」 「なあ、俺、今日ここに泊まる。」 「お前なあ。」 「いいじゃん。明日学校ないんだから。」 ああ、マジで眠くなってきた。 布団の中はあったかいし。 ちゃんのにおいはするし。 頭撫でられるし。 「始、兄貴に、連絡・・・。」 「はいはい、しとくよ。ったく、最初から泊まる気でいただろ?」 半々の賭けだったよ。 いくら俺が強引に泊まる、って言っても、追い出されればおとなしく帰るつもりだったし。 「まったく、私はどこで寝ろと?」 「一緒に、寝れば、いいじゃん。」 「寝てる間に竜に変身されたらベッドから落ちるだろうが。」 「余じゃ、ないん、だから・・・一緒に、寝よ・・・・・・・・・?」 「この、ガキ。そういうことは、一人前になってから言え。」 そうすれば、いくらでも答えてやるよ。
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