背比べ
背は、すぐに追い越した。
「ちゃん、なに弾いてんの?」 「先生と呼べ。」 音楽室に入っていつものように呼ぶと、いつもの返事が返ってきて、俺はむっとしながらちゃんが座っているピアノの椅子の端に腰掛けた。 「狭い。」 「大丈夫、ちゃん細いから。」 「先生と呼べと言っているだろうが。」 「いいじゃん。誰もいないんだから。」 ちゃんが実はピアノが得意だってのは、俺しか知らないかもしれない。始兄貴だって知らないハズ。 「ねえ、なんか弾いてよ。」 そう言うと、ちゃんはいつも俺の好きそうな流行の歌を弾いてくれる。今回もそうだと思って楽しみにして待ってると、ちゃんは少し笑って、指を鍵盤に滑らせた。 「『仰げば尊し』ぃ?」 「ぴったりだろ。」 声変わりをとっくに済ませた俺にはキツイ高音を、ちゃんは弾きながら歌う。
あおげば とうとし わがしの おん おしえの にわにも はやいくとせ
生徒が歌うトコだろ、それ。 そう言いたくても、言えなかった。 「卒業、できる成績でよかったな。」 「うるせえなあ。」 クスクスと笑うちゃんの顔は、俺の頭よりかなり下にある。
背は、すぐに追い越したのに。
「卒業したら、もう生徒じゃねえよ、俺。」 「そうだな。」 「だから、たくさんの生徒の中の生徒じゃなくなるぜ?」 「たくさんの卒業生の中の卒業生だな。」 「ちゃん!」 「先生だ。」 ぴたり、とピアノを弾く手が止まる。俺は下から睨みつけるちゃんに負けないくらい強く睨んだ。 「俺、ちゃんのこと、好きだ。」 「知っている。」 「違う。そうじゃなくて、本当に好きなんだってば。」 「だから、知っていると言っているだろう。それから先生と、」 「わかってない!ちゃんは、なにもわかってない!」 先生と呼べ、って、 もっかい言われるのがイヤで、 俺は 目を閉じて ちゃんの うるさい口を イヤなことを いつも言う口を 黙らせた。 「なんで、わかってくれないんだよ。俺は、先生じゃなくて、ちゃんが好きなんだって。」 珍しく、ちゃんが目を見開く。 そりゃそうか。突然生徒に・・・ ・・・・・・・・・。 お、俺・・・・・・、 よくよく考えてみれば、俺、とんでもないことしちゃったんじゃ・・・ 頭がどんどん熱くなる。俺は思わず口に手を当てる。 ちゃんが俺を見上げる。 そ、そんな目で見上げないでくれ! 「う、」 「う?」 「うわああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」 「私が叫びたいわ、この馬鹿者!!」 べし、とちゃんが俺を殴るけど、んなの気にしてる余裕ねえよ! や、やべ、キスしちゃった、マジで、ちゃんと、しかも、かなり無意識のうちに!! いや、落ち着け、落ち着け俺!んで早く謝れ!でないと殺されるか始兄貴にチクられる! でも口押さえてたら喋れねえけど手離すの怖ぇし! パニックに陥ってると、ちゃんは呆れたような顔をした。 「ったく。うちの竜は大飯食らいだってのは知ってたけど、いくら腹減ってるからって教師を食おうとする奴があるか。」 ちゃん、それ、微妙にヤバイ。 「ほら、これやるから。」 ひょい、とちゃんはポケットから飴玉を出す。 「別に、腹減ってたわけじゃ、」 「いらんのか?」 「いる。」 ケラケラちゃんは笑って、俺はなんか釈然としないまま飴を口に放り込んだ。 「全く、心配しなくても、まだあと一月は先生と生徒だよ、私とお前は。」 「じゃ、じゃあさ、一月経ったら、俺たちどうなんの?」 ころころと甘いぶどう味の飴を口の中で転がす。ちゃんは続兄貴みたいなイヤな笑い方をした。 「他人だな。」 「ちゃん!」 「お前が努力をすれば別だがな、終。」 え? ちゃんは鍵盤をしまい、立ち上がる。 「まあ、とりあえず、あと一月くらいは人のことを先生と呼ぶようにしてろ。まだ生徒と先生なんだからな。」 にや、と笑ってちゃんは音楽室を出て行く。
背は、すぐに追い越した。 力だって、俺の方が強い。
けど、なかなか俺はちゃんには勝てない。 |
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