見知らぬ

 

 

 私が現在付き合っているとされている嬢に出会ったのは、大学二年次のことであった。

 私は当時法学部に在籍していたのだが、大学というものは専門の授業以外に一般教養というものがあり、その中に第一外国語というものがあった。それはたいていは英語であり、私も例にもれず第一外国語として英語の授業をとっていた

 そしてある日、その授業の課題をこなすために図書館へと向かった。

 高校までの図書室というものと違い、大学の図書館はその名の通り、図書館として一つの建物となっている。大学によっては複数ある場合もあるし、学生読書室というものが学部ごとにおかれていることもある。私の大学は残念ながら両者に当てはまらなかったのであるが、その分、唯一の図書館は品揃えが豊富で、研究書以外にも文庫や新書なども揃っていたので、私は図書館の常連であった。勝手知ったる図書館内を迷わず進み、目的の書棚にたどり着いた。

 そこには先客がいた。

 ずいぶんと奇抜な格好をした、小柄な女性である。黒にピンク色の桜の花びらがプリントしてある振袖の上半身だけを切り取ったようなシャツに、黒い膝下までのスパッツ、更には白いパレオを腰に巻いている。髪は頭の上で一つにまとめ、金と銀と鼈甲色の簪、足元には黒地に赤い鼻緒の下駄。そんな前衛的な服装をした少女と呼んでもよさそうな小柄な女性が、必死に腕を伸ばしていた。

 一体どんな格好をしていようとも、困っている人間は放っておけない性分だったので、私は自分の性格を呪いながらその女性に声をかけた。

「手伝いましょか?」

 すると、その女性は驚いたように肩をすくめた。

「あ、ああ、おおきに。」

 意外と反応は普通である。

「小そうて難儀しとったんよ。すんませんが、取ってくれます?」

 一体どこの言葉なのだろう。大阪弁と京都弁と、何かどこかの方言が混じったような言葉だった。

「構いませんよ。どれですか?」

「あ、あの一番上の、詩集の棚の、白い背表紙に”Where the Sidewalk Ends”ってあるやつです。」

「ええと、あ、これですか?」

「それです。おおきに。」

 私が彼女の言葉に従って手にした本は、子供が描いたような絵が表紙に描いてあるハードカバーだった。

「ほんま、おおきに。自分も持っとったんやけど、人に貸してもうて、突然必要になったからどないしよ思うてたんですよ。」

「お役に立てたようで。」

 何度か礼を繰り返し、なんどかそれにどういたしましてと繰り返したあと、彼女は、今度はやや低めの棚に目を移した。次の本を探しているらしい。私も遊びに来たわけではないので、鞄から取り出した授業のノートを開いて必要な本を探し始めた。

「あ!」

 思わずあげてしまった大声に、エキセントリックな服装をしている彼女は大きく飛び上がった。

「ど、どないしました?」

 つい大声を上げてしまったことに気恥ずかしさを覚えつつも、更なる羞恥心を無視するように私は彼女に尋ねた。

「あの、もしかして、あなた、第一外国語1−23の授業でそれが必要なんですか?」

「え、は、はぁ、そうですけど・・・・・・もしかして、あなたが探しとった本も、これなんですか?」

 私は決まり悪い気分のまま頷いた。

「せやったら、とってもらったお礼に、先に使うてください。うちはいくつか確認したいことがあっただけやさかい、そないに時間はかかりませんから。」

 にこり、と子供のような笑みを浮かべた彼女に、私は慌てて両手を振った。

「とんでもない。先に見つけたんはあなたですから、先にどうぞ。」

「構へんのに。それに、お礼したいんですけど。」

 彼女は困ったように首を傾げ、それから本を持ったまま、器用に両手を打ち鳴らした。

「せやったら、一緒に使いまへん? で、今日時間いっぱいまで一緒に使うて、時間がたらへんかったら、明日に持ち越し。片方が終わったら、その時点でもう片方に貸す、ってのでどうでしょ?」

 実のところ、英語で書かれた推理小説ならまだしも、詩なんか読めるかどうか不安だったので、一緒に課題をやってくれる人がいるのはありがたい。本来手元にあるというくらいなのだから、彼女はこの本の訳くらい、お手の物だろう。

「乗りました。一緒にやりましょ。」

 

 本を何度もやり取りするには図書館は静か過ぎるだろうということで、私たちは近くの喫茶店に入った。二人とも、メニューの中で三番目に安いミルクティーを頼む。

 妙なところで気が合う。

「そういえば、名乗ってへんかったですね。うちは。文学部英米文学科の二年です。」

「法学部二年の有栖川有栖です。」

「有栖川さん、ね。よし、覚えた。って、同級生なんやな。現役?」

「ええ。さんも?」

「そうです。せやったら、敬語はいらへんね。うちのことも、、でええよってからに。」

「僕も、有栖川でええよ。」

「長い。アリ、じゃあかんの?」

「・・・せめてアリスにしてほしいんやけど。」

「兎穴に落ちてきぃや。」

 とりとめもない話をしているうちにミルクティーが来て、私たちは私の名義で借りてきた本と、ルーズリーフとペンケースを取り出した。

「アリスくんはどこまでやったん? うちは、あとは不確かな単語を見直したいだけなんやけど。」

「・・・正直言うて、全く手ぇつけてへんのや。」

「全く? 好きな詩を選んで、自分なりに詩的に訳して、やろ? そんな時間かからへんで?」

「英語の詩ってのは、初めてだから、つい敬遠してもうたんや。」

「しゃあないな。英米文学科の腕を見せたろやないか。本、とってもろうたしな。」

「それは助かる。」

 彼女が確認したかった箇所は本当に片手で足りるくらいの数だったので、先に彼女が自分のレポートの確認をし、それから本格的に二人で私のレポートに取り掛かった。

 今日会ったばかりの、いや、しかし同じ授業だったのだから、顔くらいは見たことがあるはずである。少なくとも、名前を知らなかった女性と一緒にレポートに取り組んでいるという状況は、少なからず違和感を私に与えた。

 しかし、そんな違和感も見る見るうちにレポートが終わりに近付くにつれ、どんどん減っていった。

「助かったわ。ほんま、おおきに。」

「構へん構へん。これくらい、朝飯前や。」

 お互いルーズリーフやレポート用紙などをしまい、席を立つ。領収書に伸ばしかけた手を制して、私は領収書を取り上げた。

「奢るわ。本をとってあげた分以上に手伝ってもろたし。」

「あれくらい、うちは構へんのやけど?」

「気にせえへんでええで。僕が払いたいだけや。」

 実際、彼女の手助けのおかげで、予想以上にレポートは早く終わったし、出来も申し分ない。ミルクティーくらい、何杯でも奢ってもいいような気分だった。

「ほんなら、おとなしう奢られとくけど。」

 にこり、と子供のような笑みを浮かべた彼女を、私は確か、眩しいと思って見ていた。

 思えば、そのときから彼女のことが好きになっていたのかもしれない。

 



反省会
  作中の詩集は、メリーの大好きな詩集っす。趣味ですな。

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